2014年2月6日木曜日

おいしさと「もったいない」の微妙な関係

数日前に観たテレビで地産地消エネルギーが話題になっていました。

かいつまんで言うと、製材した後の端材や廃材、酪農家から出る牛のふんなどを回収して燃料として再生するという内容です。
この手の取り組みが全国で行われており、単なるエコロジー運動を超えて新しい産業に成長する可能性まで紹介されていました。

ふんふんなるほど、などと各地のアイデアあふれる取り組みに感心しながら番組を観ていた僕は、うどん麺を使ったエピソードでちょっといろいろ考えてしまいました。
それは、廃棄するうどん麺を集めてエネルギーに転化するという内容だったんですが、僕が引っ掛かったのはこの廃棄うどん麺です。

なんでも讃岐うどん最大の魅力ポイントであるコシの強さは、製麺して数時間で損なわれるのだそうです。それでこれまでコシの無くなった麺は捨てるしかなかったという話に僕は思わず「もったいない」と思ってしまったのです。
ただ捨てるものを有効活用するのは素晴らしいことだけれど、そもそもまだ食べられる物を捨てる事に疑問が少々だったのです。
僕自身がコシの無いだらんとした宮崎うどんの愛好者だから余計そう思ったのかもしれません。

そのことをけしからんなどと糾弾するつもりはさらさらございません、むしろ美食ともったいない事ってとても親密な関係なんだって再認識した次第です。
廃棄率を原価に織り込むことはどの食べ物でもあることです、そのことに目くじら立てていたら食品流通自体が成り立たないことは考えるまでもありません。

「お茶碗にコメ一粒でも残しちゃいけません」の僕と、消費期限切れの弁当が破棄されるのを至極当然に思う僕、日頃はその矛盾に出来るだけ気が付かないようにしているのだけどね。