2013年7月14日日曜日

牛乳とコーヒーが合体した理由

ようするに、カフェ・オレの起原です。

フランス人が発明したカフェ・オレには、下記事に登場した「ジャワ・ロブスタ」が少し関係しています。

ここでちょっと世界史のお勉強。

17世紀に設立されたオランダ東インド会社は当初、コーヒー豆の売買で利益を上げていました。アラビアモカで買い付けた豆を他国に運び、利ざやを稼いでいたのです。

そうこうするうちにこのアムステルダムの商人達は、よそで買うより自分たちで作って売るほうがもっともうけが大きいことに気付き始めます。
自国の植民地にコーヒー農園を作り、奴隷の労働力を使えば丸儲け笑いが止まらないという図式です。

産地として選ばれたのがジャワ、そこで栽培された品種が「ジャワ・ロブスタ」です。

オランダがジャワ・ロブスタで大もうけしている間、フランスはまったく競争に乗り後れていました。

その理由のひとつは、ワイン業界や居酒屋のオーナー達の反発です。
オシャレでトレンドな飲み物としてコーヒーブームがパリを中心に始まり、カフェがいたるところに立ち始めます。その勢いを脅威と感じたのが彼らだったのです。
フランス人がカフェで払うお金で一番儲けるのがオランダ人というのも、実に面白くない話です。

なので医者達も、この新たな飲み物に否定的な立場を取るようになります。
コーヒーはどうやら体に悪いらしいという風評を作り、ブームを沈静化しようとしたのです。

それでもコーヒーは、フランスから駆逐されず飲まれ続けます。

一度体に悪いと言った手前、そのまま飲まれてはウソがばれてしまいます。
なので、「コーヒーの毒素を牛乳で相殺しましょう」という飲み方を医者達は提唱するようになります。

カフェ・オレの誕生です。

フランスがオランダに遅れを取ることなくコーヒーの生み出す富に気が付いていたら、コーヒー排斥運動なんて起こらなかったでしょう。

するとひょっとしたら、カフェ・オレも生まれなかったかもしれません。

オランダのジャワ・ロブスタに制圧されたフランスが、苦労の末西インド諸島にコーヒー栽培の拠点を設けるのは、18世紀に入ってからです。